暖かい農村病院を
岩手県立花巻厚生病院長
伊 藤 裕 一
臨床外科第23巻第4号より
説明を追加 |
東北の田舎病院の院長としてまた一介の臨床医として、
この地方の農村の人たちと接し病気の相談相手をしながら寧日のない日々を過ごしている。
私自身秋田の片田舎の農家の生まれであり、日々接する農家の爺さん婆さんは、
私の曽っての両親や郷土の人たちの姿である。
長いきびしい農業労働の後が日に焼けた額の皺、ふしくれだった手や足の隅々に染みこんで居るこの人達と接しながら、いつも私は烈しい百姓仕事に明け暮れていた両親の姿を思い出すのである。
東北の後進性と農業労働の烈しさは若い人達を農村から去らせ、村には女子供と老人ばかりのいわゆる「三ちゃん農業」によって現代の農業は支えられており、私達の日常に接する患者はこうした背景の中からやってくるものである。
啄木が、
田も畑も売りて酒飲み ほろびゆく ふるさと人に心寄せる日
---あはれかの我の教えし子等もまた、やがてふるさとを棄てて出でづるらむ----と歌った岩手の農山村の姿は 啄木の死後すでに半世紀たった今日、当時とどれほど変わっているだろうか。
時代は益々農村と都市との格差を甚しくし、村を離れるものが年々多くなり、貧困と家庭不和、貧困と病気、こうした事に原因する家庭悲劇が相変わらず新聞紙上をにぎわしている。
岩手県は日本一大きな県である。山と長いリアス式海岸に囲まれた岩手県は僻地が多く、年々増加する無医地区対策にはホトホト困っているようである。つい最近啄木の生地、玉山、渋民診療所の管理責任者のある医師が、不正な医療請求をして、それが明るみに出され、保険医の指定を取り消された。この医師はまたパチンコ店をやっている弟に代診さしていたという。
ところが村では、無医地区になっては困ると医師の慰留運動を始めたと新聞は報道している。何とも岩手らしい悲しい話である。
自然の厳しい条件のもとで黙々として働き続けた病めるこうした地域の人たちを思うと、国や県の対策もさることながら尊い人命を扱うわれわれ医師として、もっと深く考えねばならぬ事ではないだろうか。
昨今、医師ならびに医界に対する社会に対するきびしい批判は、お互いに深く反省しなければ、患者と医師の間に取り返しのつかない相互不信の底流を作り上げ、わが国の医療に重大な支障を来すであろう。
何といっても医師の幸福は、患者から信頼されることであろう。
患者と医師の間に相互信頼の精神がなければ真の医療は成り立たない。
最近医学の急速な進歩は医学的知識の吸収に急で、医学実践のための基本的精神が疎かにされやすく、人間尊重、生命尊重の精神にとぼしくなり多くの問題を惹起しているようである。
正宗の名刀も、持つ人、使う人のいかんによっては恐るべき犯罪の凶器ともなる。
No comments:
Post a Comment